カルヴァン キリスト教綱要Ⅳ

神がモーセに与えた律法、
十戒とは、宗教的形式と生活の規範を定める戒律である。
一ほかの神々があってはならない。
ニ自分のために偶像を造ってはならない。
三神の名をみだりに唱えてはならない。
四安息日を守らなくてはならない。
五両親を敬え。

六殺してはならない。

七姦淫してはならない。

八盗んではならない。

九偽ってはならない。

十妬んではならない。

―ユダヤ人が神に選ばれたのは、神に対し「祭司の王国」となるためであるとモーセは示す。

受け継いだ汚れを身に帯びて生まれ全ての罪に隷属するアダムの子らが、

王たるの尊厳に高められこうして神の栄光を共有するには、

それだけの卓越した善が他の所から来なければ起こるはずがないからである。

                   キリスト教綱要第二篇 7章から


罪に隷属するアダムの子孫とは、前回も説明した通り、

「自由意思」が喪失した魂の状態で、それは何一つ法律を定めないまま、

自分の感情と正義だけで善と悪を、各々勝手に決めて行動してしまうということを言う。

その結果、アダムの息子カインは、妬みから罪のない弟アベルを殺してしまった。

心に何の信念も定義も定めなければ人間は自分だけのルールで生きるようになる。

それでは社会、家庭、国の崩壊しか招かない。

律法はそんな人間の都合のいいルールを抑制し、社会の秩序や、全体の利益を守るための規範だった。

そしてその規定(卓越した善)を定めるには、自らの間違った概念の外から取り入れなくてはならないのだ。


律法を定める目的は、人間の魂を気高く崇高にさせるためにある。

すなわち心の回復のために是が非でも必要な要素なのだ。

しかし人は戒律に縛られたり、他人に命令されたり、ルールに従うのを嫌う。

気ままに自由に生きていたいと考える。


それは魂に対する無知から来る。自由の意味を取り違えている。

一流のスポーツ選手、一流の起業家、世界の偉人たちは、全員成功への規範を徹底している。

一貫した信念あっての達成だ。

自分の目標や夢に向かうためには、何の規範もなく生きられるはずがないのだ。

その卓越した生き方こそ、心の平安を維持できる。

向かうべき道がわからなければ、当然人間の精神は不安定になるしかない。

学ぶために世界を旅するのと、現実から逃げるために世界に行きたいと思うのは

その本質が全く違う。あきらかにゴールが違ってくるだろう。

規範を紳士的に気高く守るのは、組織や権力に屈するのではなく、むしろそんな縛りや

他人との優劣から解放されている状態をいう。


誰にも縛られたくないと言いながら、何かに依存している人は多い。

それは守るべき目標を定めていないからだ。

​​偽るな、姦淫するな、殺すな(憎むな)、盗むな、妬むなという命令遂行、

その上自分以外の人の利益を守ってあげることは簡単ではない。

​だから人には他から来る卓越した善、律法が心に刻まれることが必要なのだ。​

​それは守ることを誇るためではなく、守ることが第一優先なのでもなく、目指すべき​魂の回復のためだからだ。


Yokohama Glory Church

イエスは言われた。 「わたしは、よみがえりです。いのちです。 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、 決して死ぬことがありません。 このことを信じますか。」 ヨハネ11章25,26節

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